GAME II 独白/L ~5 years ago
"L, you will be doomed."
限界がきたようにソファに座ったまま眠っている青年の瞼は
ピクリとも動かない。
ほんの数分前まで広げていた事件の資料が手から滑り落ち、
床に散らばっていた。
その散らばる音で気付いたのだ。彼が意識を失っていることに。
私はよく気遣いがないと責められるが、
この夜神の状態を見ればそれも割合仕方ないように思える。
自分が平気なものだから、ついつい彼を付き合わせてしまった。
確か、もう3日ばかり寝ていない気がする。
さすがの彼もモニターを見つめ続けるのが辛くなったらしく、
手錠がぎりぎりで届く一番近いソファに場所を移し、
模木の出したヨツバ社員の資料を調べていた。
火口のキラの能力がどういった経路でやって来たのか、
社内外のコネクションを調べてくれと頼んでいた。
文句一つ言わず、限界がくるまで資料を分析し続ける姿勢は、
なかなか健気で微笑ましい。
負けず嫌いなせいもあるだろうが、
純粋にキラを掴まえたいという熱意は充分に伝わってきていた。
充分過ぎるくらいだ。
夜神月は自分がキラでないと証明することに躍起になっていた、
と言っていい。
しかし、それならば何故…
数日前の会話を思いだす。
夜神月が、あの会話のもう一つの意味をわからないはずがない。
わかっていて、ああ答えたということだ。
私もまた、その解答をごく自然の事として受け入れた。
…まるで、暗黙の了解のように。
ふ、と息をついて目に掛かった前髪を吹き上げた。
…つくづく、愚かな事をしたと思う。
あんな挑発に乗るべきではなかった。
疑われている者からの案をとるのはナンセンスだと彼に言いながら、
私は誘惑に負けた。
知りたかったのだ。
彼がどんな策を用意してくるのか。
まさか、キラが自分自身を、夜神月から消し去ってしまうとは…。
モニターの前を離れ、鎖を鳴さぬように注意しながら、
眠り込んだ彼の前に立った。
この無邪気な寝顔が、目覚めている時は私に食ってかかったり、
拳を振ってきたりする。
…いつから、夜神月は私にこんな無防備な姿を見せるようになったのだろう。
かつての彼なら、私の前で眠りこけることなど、ありえなかった。
上辺(うわべ)では友人関係を取り繕ってはいても、
二人の間に存在した壁は恐ろしく高かった…はずだ。
…それとも、これもまた、キラの作戦なのか。
彼に上着を引っ張られた、あの晩の一幕も…
『…L。月さんを寝室にお連れした方が…
そのままでは風邪をめされてしまいます』
スピーカーの声に自分を取り戻した。
ワタリは私の小さな迷いも、見逃さない。
「ああ。…わかっている」
彼の肩を揺り動かそうと手を伸ばしかけて、止めた。
「…ワタリ。私がおかしいと思うか」
『…月さんに対する感情の事をおっしゃっているのでしたら、
何もおかしいことはございません、L』
「時々私の肝を冷やすような事を言うな、ワタリは…」
『月さんは純粋で魅力的な方です。
彼が示される友情に心を動かされたとしても、不思議はありません』
「…ふざけないでくれ」
私の言いたい事がわかったのだろう、忠実な片腕は黙った。
自分の方がよほどふざけている。
幼稚な自己を内心で嘲笑しながら、私は親指の皮を歯でむしった。
夜神が目を覚ます気配はない。
長い睫毛が滑らかな頬に静謐な影を作ったままだ。
ワタリが私に声をかけた、本当の理由はわかっている。
このままおとなしく引き下がるべきだったかもしれない。
しかし、苛々した気分がおさまらなかった。
「…友情なんてオブラートに包んだもっともらしい言葉で、
私の行いを正当化しないでくれ。
責めるなら責めろ。
…私のこの感情は、危険なものなのか」
「…貴方(L)を、滅ぼしかねないほどに…」
予想以上の厳しい言葉に、天を仰いだ。
視線を遮る黒い天板に点(とも)ったランプが星のようだ。
途方にくれた経験などないから、想像するしかない。
今の私がそうなのだろう。
「…ワタリがそう云うのなら、そうなんだろう…。すまない」
『いえ…謝るべきなのは、私です、L…』
その先を聞きたくなくて、私は幾分強引に夜神の腕を掴んで揺すぶった。
どこかでプッと、マイクの切れる小さな音がした。
青年ははっとしたように目を見開いた。
ガラス玉のような榛(はしばみ)色の瞳には、私の邪(よこしま)さは映らなかったらしい。
「あ、ああ…ごめん、竜崎。僕は眠ってしまっていたのか…」
「大分お疲れのようです。ベッドでおやすみになられては」
「竜崎は…まだ寝ないのか」
手錠で繋がれた私が一緒に休まない事が彼の精神的なストレスになる事は
わかっていたが、どうにも眠れそうになかった。
「すみません…また、横の椅子で作業させて下さい」
夜神は溜息をついて立ち上がった。
ソファの前のテーブルに置かれた花瓶の花が
彼の肘に揺らされて甘い香りを放った。
「…いいよ、じゃあ僕も起きてる」
そう言って散らばした資料をかき集め、モニターの前の椅子を引き寄せた。
「い、いえ、休んで下さい、月くん。
睡眠不足は正常な思考の妨げになります…」
何故か、彼は笑った。嫌味のない、純粋な笑みだ。
「…なるほどね」
その納得の意味に気付いて私は眉間を寄せた。
「…月くん?…ひょっとして、
私が正常な思考をしてないとか…思ってます?」
「…ん。思うね」
「私は本当に眠くないんです。眠れないのだから、仕方ありません」
「…限界まで頭使わないと眠れないんだっけ…
わかった、悪いけど先に休ませてもらうよ」
夜神はそう言うと資料をテーブルに乗せ、
指令室の入口に向かって歩き出した。
てっきり、中2階の部屋で休むものと思っていた私は、
不意をつかれた格好になったが、表には出さず、
手元の資料を束ね、彼に続いた。
我々の私室は一つ下のフロアだった。
私室とはいえ、リビングまでは開放してあり、
ここで捜査員がミーティングをしたりする事もある。
プライバシーが快適に保たれた空間とは言い難いが、
私はもちろん、夜神もそういう事に神経質なタイプではなかった。
そもそも、そんな事を気にする性格なら、
監禁や24時間の監視を自ら望んだりはしないだろう。
時折我々が眠り込んだばかりのところに松田が飛び込んで来たりする前は、
寝室にもろくに鍵をかけていなかった。
椅子を引きずって来る私を待って、夜神はシーツの間に潜り込んだ。
「じゃあ…おやすみ」
「おやすみなさい、月くん」
手元のランプだけを残して、明かりを消す。
しばらく資料をめくった後、ふと思い付いて、
夜神が目を瞑っているのを確認した私は
ベッドサイドの抽斗(ひきだし)から便箋とペンを取り出した。
長い事連絡を取っていない二人の少年の面影が浮かんだ。
最後に会ったのは、去年のクリスマス前。
キラ事件の捜査の合間を縫い、半日だけイギリスに滞在した。
一人からは、その後も夏頃までロジャーとワタリを通して
何度も手紙が来ていた。
確か短い返事をメールで送ったはずだが、その後音沙汰がない。
何を書いたか忘れたが、多分拗ねさせてしまったのだろう。
もう一人からも、数こそ少ないものの、辛辣な文面が届いていた。
『キラに、恋でもしてるんですか』
とはまた、生意気な物言いをするようになったものだ。
負けずに皮肉を返してやろうと文面を考えながら、
眠っている夜神に視線を走らせた。
目を閉じた彼は青年というよりは、
少年と言っていいようなあどけない表情を浮かべている。
私を滅ぼしかねない、か。
先刻のワタリの言葉が、かすかな痛みを伴って蘇った。
対照的な二人の少年には、何か自分と夜神の繋がりにも似たものを感じる。
二人とも、異なる性格でありながら、どこかしら共通項があった。
それは表面だけを見ていたら窺い知ることのできない、
深い深い魂の奥の共感とでもいうべきもので、
ふとした瞬間に表層にあらわれ、また沈んでゆく、
古い記憶のようだった。
彼らにとって、それが絆となればいい。
我々のように、枷となるのではなく。
「珍しいね、…手紙?」
「…眠っていたんじゃ、なかったんですか」
「眠ろうとしてたんだけど…なんか目が冴えちゃって。…誰?」
私は首を振った。
「…秘密です。…と言っても、実はまだ1行も書いてないんです」
ひらひらと白紙のままの紙を彼に見せてから、そのまま抽斗に戻した。
夜神は目を軽くこすりながら、ゆっくりと身を起こした。
「…恋人?」
彼の問いが手紙の宛先を示しているのだという事に気付いて、私は笑った。
「さぁ、どうでしょう。…いるように見えますか?」
「…全然。でも家族に手紙を書くタイプには見えないし、
友達は僕が初めてなんだろ」
「なんだか、失礼ですね…」
「まぁ、竜崎は案外モテると思うよ、
女性っていうのは結構ゲテモノ好きだったりするからね」
「なんですか、やけにつっかかりますね。
…人をからかう元気があるなら、仕事してもらいますよ」
「嫌だよ。…疲れてるんだ」
「なら、寝て下さい」
「眠れないって言ってるだろ…」
呆れて目を丸くする私を、お前が悪いとばかりに夜神は睨んだ。
仕方なく、私は折れた。
「…恋人なんか、いませんよ。いるわけないじゃないですか」
「…まぁ、友達も作る閑のない男に、恋人が作れるわけ、ないよな。
…竜崎、チェスしよう」
突然ベッドを降りると、夜神は部屋においてあるチェス卓に私を引きずっていった。
わけがわからない。
「月くん…」
「付き合えよ」
「…まだ負け足りないんですか」
「負けないよ」
実際彼は、私としたのが初めてだったというのに、
ほんの数回の対戦でメキメキと腕をあげていた。
そろそろ本気を出さないと、厳しいかもしれない。
「さぁ、どっち?」
「…わかりました。でも一回だけですよ。終わったら寝てください」
両手にポーンを隠してこちらに突き出している、
何故だか上機嫌な彼に釘をさした。
ふと、以前から感じていた疑問の一つに、
ここで一石投じておこうか、と思った。
私がいれば、彼が気付くことはないだろうし、
彼が気付いて怒るような事があったとしても…
その時には、
私が、いない。
「うーん。…なんだか、つまらないな…」
「誘っておいて、なんです、その言い草…」
盤面だけを見れば、面白くないのは私の方であるべきだった。
圧倒的な黒の優勢の前に、私の白の王国は風前の灯火(ともしび)だ。
「つまらないよ…だってこのままなら、僕の勝ちだ」
言いながら彼はナイトを跳ねさせた。
私の2つ目のビショップが、役職を剥奪された。
「我儘な人ですね…。一体、どうすればいいって言うんです」
投げやりにクイーンを退避させると、夜神は私を睨んだ。
「だって、竜崎、全然本気出してないじゃないか…」
「…出してますよ。めちゃめちゃ、本気です、私」
「…嘘つけ。…こんな勝負じゃ納得できない。
もう一度、最初からやり直そう」
「ダメです。一回きりの、約束です」
すっかり不機嫌になった夜神はあからさまな溜息をついて、
乱暴に駒を摘(つま)み上げた。
「Touch and Moveですよ、いいんですか?」
彼の手が駒を置く前に、私は念を押した。
「え…」
急に私の声音が変わったので驚いたのだろう、夜神は本能的に身を竦ませ、手を引いた。
黒のクイーンが頼りなくボードに取り残された。
「…置きましたね」
では、と私はポーンを進めた。
一(One) 。
夜神が息を飲むのが聞こえた。
「こ、これって…」
突然逆転した戦況に、目を丸くしている。
「ピンチ、脱出です」
とは言ったものの、ピンチの度合は違う。
さっきまでの私の苦境がひっくり返せるものであったのに対し、
この戦況は覆(くつがえ)らない。
負けず嫌いの夜神の、引き際は潔かった。
「…降参(リザイン)だよ。これはもう、どうやっても、無理だ」
「だから本気だと、言ったじゃないですか」
口を尖らした彼の肩を、私は軽く小突いた。
「さぁ、約束ですよ、月くん。…眠って下さい」
「…お前の脳みそを疲れさせてやろうと、思ったのにな…」
今度は私が驚く番だった。
「…月くん。私が、眠れないと、言ったから…?」
彼が、何故こちらの寝室に来たのか、わかった。
中2階の部屋にはチェス盤がない。
「僕は、寝るよ」
立ち上がってベッドのほうに歩き出した彼の腕を掴んだ。
「…ありがとうございます。お礼に、私の秘密を一つ、お教えします」
振り返った夜神は胡散臭そうに私を見つめた。
「秘密…?一つ教えてもらったところで、お前には秘密が多すぎるよ。…何」
「私、最後の最後で引っくり返す のが、好きなんです」
彼は吹き出した。
「なんだよ、それ。そんなの秘密でもなんでもないだろう」
「いいえ、重要なことですよ。…覚えておいてください、月くん」
「…痛いよ、竜崎…。…最後の最後で引っくり返すんだろ。
わかったから離せ、この馬鹿力め」
再びベッドに潜り込んだ彼に続いて、私も部屋を完全に消灯すると、
吾身を彼の隣に滑り込ませた。
「失礼します」
「…眠れないって言わなかったか」
「いいえ、眠れます。眠いです」
「…嘘つけ…」
「本当ですよ。脳みそくたくたです」
彼の小さな笑い声が耳に心地良かった。
おそらく、私は嘘吐きの汚名を少しだけ晴らせたはずだ。
おやすみ、という彼の声を聞いたのを最後に、
次の瞬間には意識がなかったからだ。